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Posted by てと - 2007.06.06,Wed
毎回こうやって、自慰的な文を書き続けるのにも快感を味わう以外に一応目的がある。

人間は曖昧である。ひどく流動的でかつ非論理的だ。まったく逆だという考えもあるかもしれないけど、いったいどういった論理で動いているかをはっきりと示せなければそれは意味がない。

人間の感情、考えは影響を受けやすく移ろいやすい。それが悪いとか善いとかそういう問題ではなく必然としてそういうものだ。

一本筋が通ってない。それは誰しも嫌うだろう。理論が構築できなければ人間はそれを無意味ともしくは悪、無駄、愚かしさといったネガティブなものとして処理をする。なぜならそれが自分という理論を否定しているからだ。

しかし通っているかどうかを考えるのはまたそれを受け取る人間である。受け取る側の理論によって、それが理論的かそうでないかを判断する。

一般的理論という、さも大衆に支持されているかのような理論とは別に人間はそれぞれ個人的理論、偏見を大なり小なり所持している。それは価値観なんてきれいな言葉もあるが、実際はただ誰がどんな理論で動いているかの違いにしか過ぎない。しかしこれにも善悪などない(民主主義的資本主義的観点で。善悪なんてこれこそただの一般理論だが、自分もその世界の観測者なので一応言及していく。)。

個人の理論はどこで作られる、とかは心理学(脳科学)に任せるとして実際それを人間は持っている。それが摩擦だ、なにやら引き起こすがそれもおいておく。ここでは引きこもり的な観点から考えを進めていく。

いったい何を観察するか。それは自分自身の理論同士である。

余談になるがいまオレは徹夜明けです。さて今日の朝も明けやらむ朝やみに、ふとこんなことを考えた。あるファイルがあるファイルによって暗号化されていてそれが同一のファイルであった場合。鍵が入った箱を考えるのでもいい。ちなみに鍵はひとつしか存在しない。オートロックだったか、別の鍵を使って破棄したかまあそんな感じだ。

自分の思考を知るのはまるでパスワードの入った金庫の中のパスワードである。しかも時間で変化する。

最近、打検師という仕事と、デルタ関数の関係の話には感動したが、まさに打検師的なことを、この感想に換えているわけである。

なんか、情報自身がその情報を持ちうるのはなさそうだけど、そんな打検の記録がフーリエ的な関数を発見するんじゃないかと、無駄なことつらつらかいてる動機(中二病)である。


さて、中二病的に自尊心を満たす行為以外に社会的意味合いも持たせておきたい。

一本筋が通る。理論が大衆的である。これは社会を生き抜く上でとても便利である。そのためには自分の理論が邪魔になる。なぜ邪魔になるか。それは、大抵自分の理論が曖昧だからである。曖昧化していて、他者の理論(たとえば一般的なもの)と混ざってしまっているからだ。なにも自分の理論(こだわり)をもつなとは言わない。それも大事な社会性を築く上で非常に有用だから。他人の理論を知ることも当然大事だ。

しかし、ぶつかり合う理論は存在する。いちいち対消滅を繰り返してたらきりがない。資本的じゃない。当然回避する、したい。でもそれを曖昧な理論がさせないのだ。自分が持つ理論が地続きになっていると感じているからだ。

ただでさえ厄介な自分の曖昧な理論。これがなかなか流動的でもある。それでも地続きであると考えたがるのは人の性か。

なぜ曖昧かを考えるために若干嫌いな話をはじめる。近似的同一思考集団による一斉並列化である。上記の性が非常にかかわっているようにオレは思う。この集団内にある情報が流れ込んだ場合、二元的に否定か肯定のどちらかしか起こらない傾向にある(否定と肯定のバイアスの差は大抵非常に小さい場合である。むしろそうした細分化が小さいほど気付きにくく蓄積量も多い)。それの繰り返しにより、集団がさらに細分化され、それが個々の理論であると受け入れていしまうことだ。しかもこの細分化の繰り返しは同じ細分化が起こる可能性が非常に高くそれより、区分けそのものを強固なものしてしまう。それでいて、流入する情報は細分化された後も元の同一集団と同じであるため、そういった区分けそのものを定型的なものへ近づいていく。結果、その集団内の背景的理論はある一定的なものに設定され、かつ人の群れる性により助長される。細分化しているようで並列化が順次行われ続けている。

加えるが独自性を欲する人々はそんな流れを打開したくて、逆流を図るが本当にいやなら流れから出ることをしなければいけないことに気付き戻ってくる。これもひとつの定型化だろう。結局何か考えたところで行き着く先が変わるだけ(これもとても大事なことだが)で、集団から脱却できるわけでもなく。

曖昧になる理由、それはこの形成過程にある。結果として細分化されはするが大きい細分化の間で人の移動が起こる(近い範囲でだが)。なぜなら、同じ条件分岐として与えられた情報が今現在の理論と相反を起こす場合がある(中二病、もしくは客観視、大人になったのか)。その移動が理論の曖昧さ(矛盾、条件欠落)をうみ大きな原因で、潜在化やアイデンティティの喪失による更なる理論構築による共合を発生、混線させている。というか、このパターンに大体はまる。

結論として何がいいたいかというと複数の理論があって離れている部分もあるよってことを知っておくこと。それを認識する上で自分というものをなるべく知ること。自分を知るということは他者を知ること。結局、どっかで聞いたような話に落ち着いてしまった。昔の人は偉大だなぁ。

個人的には、曖昧さは醜さではあるが、愚かさではないってことを言いたかった。曖昧な論理は自分自身にも他人にもあり、悪として切り捨てるのは臭いものには蓋でしかない。ただ独自性(自分自身)を見せるような場面で昔保留にした条件分岐を一般的であるかないかの次元での判断によってそれが自分の理論なんだと盲目的で鵜呑み行為は、明らかに愚かさである。理論の穴を別の適当な理論で補強して更なる矛盾を生み出すよりは、曖昧なものは曖昧なものとして受けいれる、それでオレは良いと思う。そんなわけで自分を自分で探し続けるため鏡としての雑記である。
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何とか後ろ指刺されないように、
人生を追っかけ続けてるように見られたい。

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「間合いと、踏み込みと、気合だ!」

「智に働けば角が立つ
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