Posted by てと - 2006.09.02,Sat
涅槃姫みどろ 1~2巻、買いました。
厄いですw
このタイプの漫画は結構ありますけど、
思わず厄いって言いたくなりますよ。
そろそろ、hack//G.U. vol1のサントラが出ますよね。
サントラには優しい両手の英語版と日本語版が入るそうで。
あの恥ずかしいミミコピもそろそろ隠すべきなんでしょう。
厄いですw
このタイプの漫画は結構ありますけど、
思わず厄いって言いたくなりますよ。
そろそろ、hack//G.U. vol1のサントラが出ますよね。
サントラには優しい両手の英語版と日本語版が入るそうで。
あの恥ずかしいミミコピもそろそろ隠すべきなんでしょう。
Posted by てと - 2006.08.25,Fri
俺は、デザートを後に食べる習慣はない。でも俺は、食後に生ぬるいお茶をずるずる啜るのはちょっと好き。
お話ってのは始まりに問題があって、結末が解答の形になるのがほとんどだろう。解法がいくつかあって、今風な解きかたであればあるほど、問題が茶番で、解答が陳腐でも、おいしく戴ける、自分は。うまうま。
結末ってモノはどんな作品にも付きまとう。後読感ってのは大切だ。
でも、それを終わりだけに求めるのはどうも酷なんじゃないかなぁ。
終わりよければ全てよし。
人間はいちいち昔のことは覚えてられない、とても都合のよくできた生き物のです。私もしょっちゅう忘れます(たとえば再履修、ガッ、忘れてたのに……。)。結末が一番印象に残るべきとされるのは当然でしょう。
だからさ、始まり>終わりみたいなことが成り立てば、始まり(悪い)>終わり(善い)が成り立つのは必然なんでしょう。本の上では
でもさ、お話ってのは前後関係だけが存在しているだけで、それらはそれぞれ並列なわけである。実際の人生なんて、その法則が成り立つなら、トップ高を越えた人生に価値がないわけである。しかし人間は過去を妄想して、前へ進めるわけだ。
そもそもの話、人生ってのはあらゆる瞬間から始まっているという考えが肯定するなら、お話を読み終わった後からだって始まっているわけだ。陳腐な言い方をすれば、オワリははじまりだぁってやつ(こんなときに引用ができると楽なんだろうなぁ)。
お話を読んでいる間、我々はまた新たな始まりを向かえ終わりを迎える。オワリと始まりを繰り返す断片的な人生のひとつの断片として加えられる。その断片は異質だが、確実に他の断片に影響を与えリフレクトする。
お話の中だってそんなことがいえるはず。ひとつの引用が挿まれるか挿まれないかじゃ、ローリエの葉が入ってるカレーかそうでないカレーかぐらいの差はある。
カレーを食いたい。だから、スパイスとか具とか、いれるじゃん?そんなかんじで、始まりと結末がお話に加えられるわけで。本って形であったなら、オワリのページに挿まれる。
ご飯だけ食う、肉だけ食う、ニンジンは食べない。カレーに生姜が入ってることに気づかない。そんなんじゃカレーの味の深み(多様な方向性)を楽しめない。お話だって、おいしい食べ方で、骨の隋までしゃぶり、作者とぶつかってみりゃ、最高だ。
カタルシスを求めるには一つの大きな流れが必要だ。でも、結末や、設定で、食わず嫌いしなくてもいいじゃん。一行ぐらい面白いギャグのネタにでもなりゃ、人生の肥やしになる。
まあ、人生の割合のなかでそれが必ずしも必要だったなんかわかんないけど、形だけに囚われるのはよくないと思う。
PS1 本を読むで思い出したが、戦う司書シリーズはけっこう好き。しかしあれ、人の人生を本として読むらしいが、本食いじゃなくたって容量増えすぎんじゃね?
PS2 並列がどうとかで思い出したが、ひぐらしがなく頃に祭は選択肢が入るらしい。途中でそれぞれの編に分岐するらしいが、さすがに澪尽し編には一週目じゃ入れないんだろうな。
PS3 カタルシスがどうとかで思い出したが、ムシウタはそおいう意味では、かなり当てはまるのかなぁ。日本の川みたいな。
お話ってのは始まりに問題があって、結末が解答の形になるのがほとんどだろう。解法がいくつかあって、今風な解きかたであればあるほど、問題が茶番で、解答が陳腐でも、おいしく戴ける、自分は。うまうま。
結末ってモノはどんな作品にも付きまとう。後読感ってのは大切だ。
でも、それを終わりだけに求めるのはどうも酷なんじゃないかなぁ。
終わりよければ全てよし。
人間はいちいち昔のことは覚えてられない、とても都合のよくできた生き物のです。私もしょっちゅう忘れます(たとえば再履修、ガッ、忘れてたのに……。)。結末が一番印象に残るべきとされるのは当然でしょう。
だからさ、始まり>終わりみたいなことが成り立てば、始まり(悪い)>終わり(善い)が成り立つのは必然なんでしょう。本の上では
でもさ、お話ってのは前後関係だけが存在しているだけで、それらはそれぞれ並列なわけである。実際の人生なんて、その法則が成り立つなら、トップ高を越えた人生に価値がないわけである。しかし人間は過去を妄想して、前へ進めるわけだ。
そもそもの話、人生ってのはあらゆる瞬間から始まっているという考えが肯定するなら、お話を読み終わった後からだって始まっているわけだ。陳腐な言い方をすれば、オワリははじまりだぁってやつ(こんなときに引用ができると楽なんだろうなぁ)。
お話を読んでいる間、我々はまた新たな始まりを向かえ終わりを迎える。オワリと始まりを繰り返す断片的な人生のひとつの断片として加えられる。その断片は異質だが、確実に他の断片に影響を与えリフレクトする。
お話の中だってそんなことがいえるはず。ひとつの引用が挿まれるか挿まれないかじゃ、ローリエの葉が入ってるカレーかそうでないカレーかぐらいの差はある。
カレーを食いたい。だから、スパイスとか具とか、いれるじゃん?そんなかんじで、始まりと結末がお話に加えられるわけで。本って形であったなら、オワリのページに挿まれる。
ご飯だけ食う、肉だけ食う、ニンジンは食べない。カレーに生姜が入ってることに気づかない。そんなんじゃカレーの味の深み(多様な方向性)を楽しめない。お話だって、おいしい食べ方で、骨の隋までしゃぶり、作者とぶつかってみりゃ、最高だ。
カタルシスを求めるには一つの大きな流れが必要だ。でも、結末や、設定で、食わず嫌いしなくてもいいじゃん。一行ぐらい面白いギャグのネタにでもなりゃ、人生の肥やしになる。
まあ、人生の割合のなかでそれが必ずしも必要だったなんかわかんないけど、形だけに囚われるのはよくないと思う。
PS1 本を読むで思い出したが、戦う司書シリーズはけっこう好き。しかしあれ、人の人生を本として読むらしいが、本食いじゃなくたって容量増えすぎんじゃね?
PS2 並列がどうとかで思い出したが、ひぐらしがなく頃に祭は選択肢が入るらしい。途中でそれぞれの編に分岐するらしいが、さすがに澪尽し編には一週目じゃ入れないんだろうな。
PS3 カタルシスがどうとかで思い出したが、ムシウタはそおいう意味では、かなり当てはまるのかなぁ。日本の川みたいな。
Posted by てと - 2006.08.07,Mon
ネットの各所で馬鹿にされネタにされるジャンプの新連載、『斬』。別にみんながみんな馬鹿にしてるわけではないが、ちょっとばかりネタを得るための反応が加除気味なので、擁護的な感想文で参加させてもらう(どこかに入るわけじゃないが)。
この漫画では特殊能力は(今のところ)ないが、剣は持ってるという不思議な漫画である。別に武器が何でも持てるわけじゃあない。廃刀令が無いっていう理屈だから銃器火器は類は禁止なのだろう。設定としてはまだ浅いが、自分としては気に入っている。正直普通の少年少女に剣を持たせ戦うなんてムリだ。
この漫画では特殊能力は(今のところ)ないが、剣は持ってるという不思議な漫画である。別に武器が何でも持てるわけじゃあない。廃刀令が無いっていう理屈だから銃器火器は類は禁止なのだろう。設定としてはまだ浅いが、自分としては気に入っている。正直普通の少年少女に剣を持たせ戦うなんてムリだ。
Posted by てと - 2006.06.26,Mon
(名)スル
〔車輪のきしる意から〕仲が悪くなること。不和。葛藤(かっとう)。
「両者間に-を生ずる」「源平の二当相-して終に兵端を開く/日本開化小史(卯吉)」
〔車輪のきしる意から〕仲が悪くなること。不和。葛藤(かっとう)。
「両者間に-を生ずる」「源平の二当相-して終に兵端を開く/日本開化小史(卯吉)」
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HN:
てと
性別:
非公開
職業:
学生だったらイイナ
趣味:
アニメとか
自己紹介:
出身栃木
在住宮城
大学を隠れ蓑として利用し、
何とか後ろ指刺されないように、
人生を追っかけ続けてるように見られたい。
好きな言葉は
「間合いと、踏み込みと、気合だ!」
「智に働けば角が立つ
情に棹させば流される
意地を通せば窮屈だ
兎角に人の世は住みにくい」
在住宮城
大学を隠れ蓑として利用し、
何とか後ろ指刺されないように、
人生を追っかけ続けてるように見られたい。
好きな言葉は
「間合いと、踏み込みと、気合だ!」
「智に働けば角が立つ
情に棹させば流される
意地を通せば窮屈だ
兎角に人の世は住みにくい」
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