Posted by てと - 2007.07.24,Tue
といってもひどく抽象的な失望だけれども。
少年時代がひどく放出的であるから。
でも何も変わらない。取り返しがつかないのは今までどおり。
転がり落ちる人生に上り坂など無い。
それは絶望するのではなく、ひどく救われすぎてしまったそのことに後悔し、
後悔しまくって、爪を地面に突き立てて、剥がれ落ちた爪の痛みに何を絶望しようか。
とりあえず、薬指あたりから絶望を始めよう。
少年時代がひどく放出的であるから。
でも何も変わらない。取り返しがつかないのは今までどおり。
転がり落ちる人生に上り坂など無い。
それは絶望するのではなく、ひどく救われすぎてしまったそのことに後悔し、
後悔しまくって、爪を地面に突き立てて、剥がれ落ちた爪の痛みに何を絶望しようか。
とりあえず、薬指あたりから絶望を始めよう。
Posted by てと - 2007.07.18,Wed
ドラマのライアーゲーム、はじめて見たのが
「ちょーぬるいんですけどー」
だった俺は完全に勝ち組。
さて、テスト前でありテスト後である状態が非常に密接に繋がっている期間、つまりテスト期間なんですがそういう時すごくはかどることありますよね?
そう、ゲーム打開です。
友達に聞いたら、俺も俺もーと同意が取れたので一般的であるに違いありません!今はOGsやってます。Wはどうしたかって?え、何のことですか?
久しぶりに見たけどヴァイスちゃん麗しすぎです。アルト君も素敵だけどBGM的にヴァイスちゃん優勢ですね。はやくわおわおーんがみたいです。ちらっと変化後のランページ見たけどヤバスギル……。これは期待できる。モチベーション上がってきますね、ゲームの。
でも俺は結構集中力がありません。ですのでこういうのとか、つい「あなたは神か」と問いかけてしまいます。
きっとプレイヤーは特殊な精神訓練をうけているに違いありません。同じ人間とは思いません。見てるだけで胃が痛くなりました。
そう僕はむしろこっちに近い。
人生打開TAハジマタ、ら良いのにな、僕も。とか言いながら酒をあおり出したら、昔の自分に顔向けできないので自重して勉強をするふりをする仕事をはじめるお(AAry
「ちょーぬるいんですけどー」
だった俺は完全に勝ち組。
さて、テスト前でありテスト後である状態が非常に密接に繋がっている期間、つまりテスト期間なんですがそういう時すごくはかどることありますよね?
そう、ゲーム打開です。
友達に聞いたら、俺も俺もーと同意が取れたので一般的であるに違いありません!今はOGsやってます。Wはどうしたかって?え、何のことですか?
久しぶりに見たけどヴァイスちゃん麗しすぎです。アルト君も素敵だけどBGM的にヴァイスちゃん優勢ですね。はやくわおわおーんがみたいです。ちらっと変化後のランページ見たけどヤバスギル……。これは期待できる。モチベーション上がってきますね、ゲームの。
でも俺は結構集中力がありません。ですのでこういうのとか、つい「あなたは神か」と問いかけてしまいます。
きっとプレイヤーは特殊な精神訓練をうけているに違いありません。同じ人間とは思いません。見てるだけで胃が痛くなりました。
そう僕はむしろこっちに近い。
人生打開TAハジマタ、ら良いのにな、僕も。とか言いながら酒をあおり出したら、昔の自分に顔向けできないので自重して勉強をするふりをする仕事をはじめるお(AAry
Posted by てと - 2007.07.16,Mon
何かとものを語る上で、それが理論的であればあるほど価値がある場合、それを求めた際、どうしても己の愚かさ、浅はかさ、を晒すのには抵抗が生じる。その醜さがその語られるものと無関係であっても、それを誰が言って、またそいつは他に何を言っているのかを、問われてしまうものだ。その問われる行為自体無意味であり、それこそが醜さなのだろうが、人格の否定はある意味最悪な結末であることには違いない。ならばそれを操作し時には流れに身を任せるのが賢く妥当なやり方だと考える。つまり、極力人間味のある発言は控え、理論の整合性が取れたものだけを吐き出していく。そもそも人間とは一人で存在することには本質的には意味がないし、コミュニケーションを潤滑にしようとする行為自体はむしろ本来持ちうる力であるともいえる。もっともそれに感けて、理論を曲げてしまうのは本末転倒だが。
つまり、文章とは存在した瞬間に書き手と読み手の存在が生まれるわけだが、そこでいったい我々は何を望むか、である。差し迫った言い方をすれば、文章と書き手の存在の関係に読み手が何を要求しているかである。
具体的に言うならそう、いわゆる昨今ネット界の特に個人ブログによく見られる、自分語りと学問のような正当性も無い悟ったような決め付け文章が織り交ざった文章の集合体とも言えるようなもののことである。
別に誰かに求められたわけでもなく、また誰かに強制されたわけではなく、ただの電子信号を垂れ流す行為は、無人島から宛名の無い手紙をビンに詰めて海に流すような行為に似ている。違いといえば、環境への影響と精神的か肉体的かの比率だけだろう。どこにいるとも分からない人間に望みの薄い関係性を求めている点で非常に似ている。ただ、これはさびれきった個人ブログにだけ言えることだが。
それはさておき、それでも読み手がいることは確実に想定されているのである。それがどんなに無価値で無意味に近かろうと、確実にそれは想定されていてされるべきであった文章であるはず。
では、その手紙の入ったビンを不幸にも拾った読み手は何を思うか。まあ返信をしたければするわけだけど、基本的にしない。事務的なことであったり、その場の空気であったり、馴れ合いだったりと、違う場合もあるだろうが、そもそもが何かを問われいるわけでもなければ求められているものでもない。まあある程度その読み手には影響はあったにしろ、事実上無関係である。この世のどこかにこんな奴がいる、そんぐらいのことを思ってくれさえすれば十分だろう。(まあその存在の証明がほしくて、カウンターとか拍手とか、その他もろもろ設置するのだろうが)。
でだ、そんな儚いロマンチストはいったいどうしてそこまで整合性やら公平性やら論理性にこだわるのだろうか。当然それらは守られていたほうがその文章に価値があるだろう。だがそれはメインではないはずだ、これ、個人ブログにおいては。本人がそれを求めて書いているならかまわないがそこまでのことを考えて個人ブログを運営してるとは思えない。むしろ、ある意味での「弱さ」を晒していくべきなのではないだろうか。それこそが、読み手が求め、また書き手が与えたい共通の愚劣ではあるが強烈に甘さなのではないか。
確かに、本来人間は自分を強く見せたがる。この場合の強さとは、社会的妥当性の高さから、低俗なものまでの、書き手が価値があると思う全てのものである。当然それがブログを運営する最低レベルの条件であるだろうからだ。しかしそれと同時に、弱さというものが存在するのである。ブログを運営するという行為自体の弱さである。どんなにえらそうなことをブログに書こうが、結果として読み捨てられるものを、自分の時間を割いてまで必死にトイレの紙に書き続けるようなマゾイ行為である。別に他者に発信するという以外にも目的はあるだろうが、そういう面も確実にあるはずだ。mixiやらアフぇリエイトやらアピールやらがまったく無い個人ブログなんか特にそうである。
ゆるさ、本来の自分、いえないようなこと、それらを発露することは楽しいことだし、また読み手は、同じベクトルを持つ弱さを探してそれに同調もしくは反発し、やはりそれも楽しかったりすものだ。というより楽しめない人は読まないだろうし。
まあ何が言いたかったかというと、完全に馬鹿すぎるようなマッパもどうかと思うけど、個人ブログで完全理論武装してどこに戦争しかける気なんだろうなーと思った。いやまあそれはそれで面白いんだけど、そんな面白いことかけるなら、もっと適当なこといってみたらーとか思うんだよねー、ブログなんだしーとか、だめか。少なくとも、自分はどっち側なのかを読み手が都合よく妄想しやすくなるような、やつとかさ。
と、テスト前になってきてまた風邪を引き、切羽詰りまくってゲーム初めて夜も更けてきたが寝るのも怖いけど体もだるくて混乱してたらブログ更新といういつものパターン。
つまり、文章とは存在した瞬間に書き手と読み手の存在が生まれるわけだが、そこでいったい我々は何を望むか、である。差し迫った言い方をすれば、文章と書き手の存在の関係に読み手が何を要求しているかである。
具体的に言うならそう、いわゆる昨今ネット界の特に個人ブログによく見られる、自分語りと学問のような正当性も無い悟ったような決め付け文章が織り交ざった文章の集合体とも言えるようなもののことである。
別に誰かに求められたわけでもなく、また誰かに強制されたわけではなく、ただの電子信号を垂れ流す行為は、無人島から宛名の無い手紙をビンに詰めて海に流すような行為に似ている。違いといえば、環境への影響と精神的か肉体的かの比率だけだろう。どこにいるとも分からない人間に望みの薄い関係性を求めている点で非常に似ている。ただ、これはさびれきった個人ブログにだけ言えることだが。
それはさておき、それでも読み手がいることは確実に想定されているのである。それがどんなに無価値で無意味に近かろうと、確実にそれは想定されていてされるべきであった文章であるはず。
では、その手紙の入ったビンを不幸にも拾った読み手は何を思うか。まあ返信をしたければするわけだけど、基本的にしない。事務的なことであったり、その場の空気であったり、馴れ合いだったりと、違う場合もあるだろうが、そもそもが何かを問われいるわけでもなければ求められているものでもない。まあある程度その読み手には影響はあったにしろ、事実上無関係である。この世のどこかにこんな奴がいる、そんぐらいのことを思ってくれさえすれば十分だろう。(まあその存在の証明がほしくて、カウンターとか拍手とか、その他もろもろ設置するのだろうが)。
でだ、そんな儚いロマンチストはいったいどうしてそこまで整合性やら公平性やら論理性にこだわるのだろうか。当然それらは守られていたほうがその文章に価値があるだろう。だがそれはメインではないはずだ、これ、個人ブログにおいては。本人がそれを求めて書いているならかまわないがそこまでのことを考えて個人ブログを運営してるとは思えない。むしろ、ある意味での「弱さ」を晒していくべきなのではないだろうか。それこそが、読み手が求め、また書き手が与えたい共通の愚劣ではあるが強烈に甘さなのではないか。
確かに、本来人間は自分を強く見せたがる。この場合の強さとは、社会的妥当性の高さから、低俗なものまでの、書き手が価値があると思う全てのものである。当然それがブログを運営する最低レベルの条件であるだろうからだ。しかしそれと同時に、弱さというものが存在するのである。ブログを運営するという行為自体の弱さである。どんなにえらそうなことをブログに書こうが、結果として読み捨てられるものを、自分の時間を割いてまで必死にトイレの紙に書き続けるようなマゾイ行為である。別に他者に発信するという以外にも目的はあるだろうが、そういう面も確実にあるはずだ。mixiやらアフぇリエイトやらアピールやらがまったく無い個人ブログなんか特にそうである。
ゆるさ、本来の自分、いえないようなこと、それらを発露することは楽しいことだし、また読み手は、同じベクトルを持つ弱さを探してそれに同調もしくは反発し、やはりそれも楽しかったりすものだ。というより楽しめない人は読まないだろうし。
まあ何が言いたかったかというと、完全に馬鹿すぎるようなマッパもどうかと思うけど、個人ブログで完全理論武装してどこに戦争しかける気なんだろうなーと思った。いやまあそれはそれで面白いんだけど、そんな面白いことかけるなら、もっと適当なこといってみたらーとか思うんだよねー、ブログなんだしーとか、だめか。少なくとも、自分はどっち側なのかを読み手が都合よく妄想しやすくなるような、やつとかさ。
と、テスト前になってきてまた風邪を引き、切羽詰りまくってゲーム初めて夜も更けてきたが寝るのも怖いけど体もだるくて混乱してたらブログ更新といういつものパターン。
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HN:
てと
性別:
非公開
職業:
学生だったらイイナ
趣味:
アニメとか
自己紹介:
出身栃木
在住宮城
大学を隠れ蓑として利用し、
何とか後ろ指刺されないように、
人生を追っかけ続けてるように見られたい。
好きな言葉は
「間合いと、踏み込みと、気合だ!」
「智に働けば角が立つ
情に棹させば流される
意地を通せば窮屈だ
兎角に人の世は住みにくい」

在住宮城
大学を隠れ蓑として利用し、
何とか後ろ指刺されないように、
人生を追っかけ続けてるように見られたい。
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