Posted by てと - 2007.08.16,Thu
暴力的思想は悪ではなく、方向性はナイフと同一。持っていようが使うかどうかは本人しだい。
ただ前者は情報で後者は実物である。
実物は物理的に遮断が可能だが、情報は非常に難しい。直接的な暴力的描写が無くとも、環境によっては一見無害なものも致命的にな場合もある。
こういった思想が果たして、子供を暴力的にするか?答えはイエスともノーともいえる。選択肢として与えられるのであって、判断能力云々より確立的な部分が非常に大きい。
その選択肢を意図的になくすことで決して、事件が減るかもしれない。ただそれは、問題の表層化するための事件を減らすことであって、本質的には何も解決はせず、また違った形で現れるかもしれない。
ただ、そういった情報を年齢制限で守ることには意味がある。前述のことや、理解が難しい、といった理由もあるが、秘匿されることがやめられることでよってその情報における価値というものを下げかねない。
話が逸れたが、ここで問題にしているのは善悪の判断でも有用であるかでもない。つまり、馬鹿とはさみは使いようで切れるらしいけど、じゃあどうやったら切れるんだって話。論理を行使するとき、ではいったいどうやって使うのが一番効率的であるか、またどんな使い方ができるか。また、その注意点は何か。
「この文は論理的である。」という文が果たして論理的かどうか。所詮は人間の都合のいいものだとおもって作られのが論理的であるといわれるだけだ。
ましてや群衆の中や馴れ合いの中で論理的であることに価値は薄れていく。むしろそんなかのほうが人間は規則的で予測しやすく、ある意味その軽視されがちな論理的な行動をする。
そんな時論理というものはただのモノ、もしくはプライドなんていった崇高でもなんでもない所有物に堕ちるのだ。
こうなってしまっては、その論理を後生大事にするのは逆にそれを汚す行為に落ちるとはわかりきっているが、捨てるだけでは浮かばれない。
で。どうするか。相手の論理を引き出して、それと自分のうまい新しい関係性を表す論理を考えて、そこから新たな価値を引き出す。
異質なものは受け入れがたい。だが相手から論理を引き出し、それを自分のものとつなげることは、理解している感じるという状態を作るだけでなく、(ry
ただ前者は情報で後者は実物である。
実物は物理的に遮断が可能だが、情報は非常に難しい。直接的な暴力的描写が無くとも、環境によっては一見無害なものも致命的にな場合もある。
こういった思想が果たして、子供を暴力的にするか?答えはイエスともノーともいえる。選択肢として与えられるのであって、判断能力云々より確立的な部分が非常に大きい。
その選択肢を意図的になくすことで決して、事件が減るかもしれない。ただそれは、問題の表層化するための事件を減らすことであって、本質的には何も解決はせず、また違った形で現れるかもしれない。
ただ、そういった情報を年齢制限で守ることには意味がある。前述のことや、理解が難しい、といった理由もあるが、秘匿されることがやめられることでよってその情報における価値というものを下げかねない。
話が逸れたが、ここで問題にしているのは善悪の判断でも有用であるかでもない。つまり、馬鹿とはさみは使いようで切れるらしいけど、じゃあどうやったら切れるんだって話。論理を行使するとき、ではいったいどうやって使うのが一番効率的であるか、またどんな使い方ができるか。また、その注意点は何か。
「この文は論理的である。」という文が果たして論理的かどうか。所詮は人間の都合のいいものだとおもって作られのが論理的であるといわれるだけだ。
ましてや群衆の中や馴れ合いの中で論理的であることに価値は薄れていく。むしろそんなかのほうが人間は規則的で予測しやすく、ある意味その軽視されがちな論理的な行動をする。
そんな時論理というものはただのモノ、もしくはプライドなんていった崇高でもなんでもない所有物に堕ちるのだ。
こうなってしまっては、その論理を後生大事にするのは逆にそれを汚す行為に落ちるとはわかりきっているが、捨てるだけでは浮かばれない。
で。どうするか。相手の論理を引き出して、それと自分のうまい新しい関係性を表す論理を考えて、そこから新たな価値を引き出す。
異質なものは受け入れがたい。だが相手から論理を引き出し、それを自分のものとつなげることは、理解している感じるという状態を作るだけでなく、(ry
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Posted by てと - 2007.08.14,Tue
といってはいっては見たものの、何も考えてない。
つまり、相対座標ってわかりやすけど、絶対座標は必要で、でも絶対的なものが無いんで、公式だけは上げておきたい、ってつもりで何かこうと思ったけど、自分でも名に言ってるわからない。
作品が存在することでその影響(恩恵、被害)を被る影響の大きさ。
作り手 ≧ 作品 >(次元の壁)> A(多数派) ≧ A意見 、 B意見(少数派)> B >(そもそも比較するレベルで無い壁)> 傍観者 ≧ 無関係な一般市民
主観的すぐるwwwwwww
つまり、相対座標ってわかりやすけど、絶対座標は必要で、でも絶対的なものが無いんで、公式だけは上げておきたい、ってつもりで何かこうと思ったけど、自分でも名に言ってるわからない。
作品が存在することでその影響(恩恵、被害)を被る影響の大きさ。
作り手 ≧ 作品 >(次元の壁)> A(多数派) ≧ A意見 、 B意見(少数派)> B >(そもそも比較するレベルで無い壁)> 傍観者 ≧ 無関係な一般市民
主観的すぐるwwwwwww
Posted by てと - 2007.08.13,Mon
始末書とかー。
根性論などに意味は無い。少なくとも効率的じゃない。
ただし、個人的には自分に都合がいいほうがいいに決まってる。
プライドの価値はいったいいくら?
冷静な思考は万金に値する、盲目な本能は一銭の価値も無い。
しかし、理性は本能の道具に過ぎず、それだけでは何の意味も無い。
プライド。
僕はどこかに偏ること(プライド)を恐れている。
しかしプライドは愚かしく気高い。
でも、ご飯は食べれません。
ご飯が食べたい僕は、プライドをそこらのニャンコに食わして萌え萌えしています。
根性論などに意味は無い。少なくとも効率的じゃない。
ただし、個人的には自分に都合がいいほうがいいに決まってる。
プライドの価値はいったいいくら?
冷静な思考は万金に値する、盲目な本能は一銭の価値も無い。
しかし、理性は本能の道具に過ぎず、それだけでは何の意味も無い。
プライド。
僕はどこかに偏ること(プライド)を恐れている。
しかしプライドは愚かしく気高い。
でも、ご飯は食べれません。
ご飯が食べたい僕は、プライドをそこらのニャンコに食わして萌え萌えしています。
Posted by てと - 2007.08.12,Sun
あーいえばこーいう。
埋もれた良作というものがこの世にはある。
正当な評価をすればヒット作と肩を並べられるものが。
というより、ヒット作っという状態こそが正当な評価を受けていないともいえる。
では正当な評価とは何か?
そんなものがあるのか?
人によって感銘を受ける作品は違う。
生理的嫌悪促すものも人によって感銘を受けたと言うかもしれない。
なんてことはない。人間十人十色。当然ともいえる。
だが、アニメ、漫画などの作品はある程度世間一般におけるマジョリティーを獲得しなければならず(アンチにしろ)、それができなければ消えていって明日のおまんまにもありつけません。
ということは、商品としての価値はマジョリティーをいかに獲得するか、つまりはいかにして認知させそれを持続させるかが重要であるはずだ。(その作品が終わったとしても、それによって発生した同一思考集団を散らさずにスムーズに違う列に並ばせたりと)。
この場合における作品そのものの価値は、その状態を作るうえでの一要因に過ぎない。
ですがこんな事実は消費者側から見れば二次的な要因に過ぎません。集団があることに価値はあると思いますが、まず自分がその作品に好感、興味を抱いていなければおもしろくない。
消費者は面白いものを望んでいる。
ところで僕は自分の価値基準に疑いを持っていない。さすがに自分の価値観を疑いながら生きている人間はほぼ皆無だろう。つまらないとか面白いとかは、きわめて独断的判断によって決めている。その価値基準をうんだ環境は疑うにしろ、今現在の自分をいちいち否定していては鬱病になるだけだ。自己の中の作品の評価というきわめて個人的なことに当たっては特にそうであるはず。
そして疑うべきは他者の評価ということである。
何を求めるか。自己の拡大である。何かを自分のものにしたい、他人に自分を認めてほしい、すごいものを作り上げたい。すべては自身がどれだけ世界に影響を与え、自分の拡大を図れるか。いわゆる欲ってやつだろう。
ただし、世界はやさしくない。たいていの場合自己を変質させ周りに同調することでその欲を満たす。
あらためて正当な評価を考えていきたい。正当な評価とは何か。大多数が同意をすることができる評価。つまり、評価の基準はその作品に対する評価がいかに納得しうかが、正当であるかないかなのである。
評価の評価。いわゆるあれです。アマゾンのあれである。そして正しい評価こそがその作品の価値を決めているわけです。
しかし評価というものになんら価値はありません。価値は作品自体にあるはずです。
ましてや、その評価を下す人間に何を求めているのでしょう。
自分と作品の関係性。そこだけがその作品を好きか嫌いかを分けているだけである。
だから僕の中の正しいと思う評価はその作品を好きでも嫌いでもかまわない、ただその評価の論理、独創性、文章力が秀逸ならば、その作品の存在価値を認めたい。いわゆるレゾンデーテルだ。
チャンスなんだよ、自分と違う意見ってやつは。特に自分と同じような考えを持っていると思った人間と違う評価をした時は。相手の考えと自分の考えを細分化して何が違うのか、なぜ違うのか、どうしたら変わるのか。それがわかったとき、もっといろんなものが見えてくる。
正直、自傷行為もいいところだ。だから他の人が勝手に作ってくれたわかりやすく論理だった評価はびゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛。
埋もれた良作というものがこの世にはある。
正当な評価をすればヒット作と肩を並べられるものが。
というより、ヒット作っという状態こそが正当な評価を受けていないともいえる。
では正当な評価とは何か?
そんなものがあるのか?
人によって感銘を受ける作品は違う。
生理的嫌悪促すものも人によって感銘を受けたと言うかもしれない。
なんてことはない。人間十人十色。当然ともいえる。
だが、アニメ、漫画などの作品はある程度世間一般におけるマジョリティーを獲得しなければならず(アンチにしろ)、それができなければ消えていって明日のおまんまにもありつけません。
ということは、商品としての価値はマジョリティーをいかに獲得するか、つまりはいかにして認知させそれを持続させるかが重要であるはずだ。(その作品が終わったとしても、それによって発生した同一思考集団を散らさずにスムーズに違う列に並ばせたりと)。
この場合における作品そのものの価値は、その状態を作るうえでの一要因に過ぎない。
ですがこんな事実は消費者側から見れば二次的な要因に過ぎません。集団があることに価値はあると思いますが、まず自分がその作品に好感、興味を抱いていなければおもしろくない。
消費者は面白いものを望んでいる。
ところで僕は自分の価値基準に疑いを持っていない。さすがに自分の価値観を疑いながら生きている人間はほぼ皆無だろう。つまらないとか面白いとかは、きわめて独断的判断によって決めている。その価値基準をうんだ環境は疑うにしろ、今現在の自分をいちいち否定していては鬱病になるだけだ。自己の中の作品の評価というきわめて個人的なことに当たっては特にそうであるはず。
そして疑うべきは他者の評価ということである。
何を求めるか。自己の拡大である。何かを自分のものにしたい、他人に自分を認めてほしい、すごいものを作り上げたい。すべては自身がどれだけ世界に影響を与え、自分の拡大を図れるか。いわゆる欲ってやつだろう。
ただし、世界はやさしくない。たいていの場合自己を変質させ周りに同調することでその欲を満たす。
あらためて正当な評価を考えていきたい。正当な評価とは何か。大多数が同意をすることができる評価。つまり、評価の基準はその作品に対する評価がいかに納得しうかが、正当であるかないかなのである。
評価の評価。いわゆるあれです。アマゾンのあれである。そして正しい評価こそがその作品の価値を決めているわけです。
しかし評価というものになんら価値はありません。価値は作品自体にあるはずです。
ましてや、その評価を下す人間に何を求めているのでしょう。
自分と作品の関係性。そこだけがその作品を好きか嫌いかを分けているだけである。
だから僕の中の正しいと思う評価はその作品を好きでも嫌いでもかまわない、ただその評価の論理、独創性、文章力が秀逸ならば、その作品の存在価値を認めたい。いわゆるレゾンデーテルだ。
チャンスなんだよ、自分と違う意見ってやつは。特に自分と同じような考えを持っていると思った人間と違う評価をした時は。相手の考えと自分の考えを細分化して何が違うのか、なぜ違うのか、どうしたら変わるのか。それがわかったとき、もっといろんなものが見えてくる。
正直、自傷行為もいいところだ。だから他の人が勝手に作ってくれたわかりやすく論理だった評価はびゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛。
Posted by てと - 2007.08.11,Sat
帰省して、ずっとバイトをしている。
明日は休みである。
どうも最近指が痛いと思っていたら、
紙を触りすぎて油が吸われて硬質化してしまっている。
書く気力がわかない。てか指先が痛い。あと紫外線で目がやられてしまって痛い。でも書きましょう。
本当は書いてはいるのだが、書いては消し書いては消し、自分がいったい何を書きたいのか、自分は大体言いたいことは言い尽くしてしまったのではないか、ネタを創造するのもつらい。
そういえば押井守の特集を最近見ている。アニメギガってやつである。今夜はビューティフルドリーマー。
OGsもやってはいるのだが、自分の気力が低すぎてできない。
同じように、アニメ見るのもめんどくさい。
小説は読んでる。
あと、弟のためにどのpcを購入するかもあったな。
なにもまとまらない。
明日は休みである。
どうも最近指が痛いと思っていたら、
紙を触りすぎて油が吸われて硬質化してしまっている。
書く気力がわかない。てか指先が痛い。あと紫外線で目がやられてしまって痛い。でも書きましょう。
本当は書いてはいるのだが、書いては消し書いては消し、自分がいったい何を書きたいのか、自分は大体言いたいことは言い尽くしてしまったのではないか、ネタを創造するのもつらい。
そういえば押井守の特集を最近見ている。アニメギガってやつである。今夜はビューティフルドリーマー。
OGsもやってはいるのだが、自分の気力が低すぎてできない。
同じように、アニメ見るのもめんどくさい。
小説は読んでる。
あと、弟のためにどのpcを購入するかもあったな。
なにもまとまらない。
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自己紹介
HN:
てと
性別:
非公開
職業:
学生だったらイイナ
趣味:
アニメとか
自己紹介:
出身栃木
在住宮城
大学を隠れ蓑として利用し、
何とか後ろ指刺されないように、
人生を追っかけ続けてるように見られたい。
好きな言葉は
「間合いと、踏み込みと、気合だ!」
「智に働けば角が立つ
情に棹させば流される
意地を通せば窮屈だ
兎角に人の世は住みにくい」

在住宮城
大学を隠れ蓑として利用し、
何とか後ろ指刺されないように、
人生を追っかけ続けてるように見られたい。
好きな言葉は
「間合いと、踏み込みと、気合だ!」
「智に働けば角が立つ
情に棹させば流される
意地を通せば窮屈だ
兎角に人の世は住みにくい」
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